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表裏一体、黒と白、善と悪…など二つを同居させ、かつ二つをお互い引き立てる表現は数あるが、これもそのうちの一つ。大事なことは、この表現における二つの存在は、どちらが欠けても表現として成り立たないと言うことだろう。
「The Fragile」の「Left&Right」にも同じことが言える。どちらも優先されてしかるべきだし、どちらも優遇されてはいけない。この二つは微妙なバランスを取り合ってつり合っている存在なのだから。
「1」と「2」なら順番だが、「右」と「左」はバランスを表すものなのだ。
今回はトレントは特にバランスと言うものにこだわっていると思う。それはカセットとアナログ、CDとそれぞれのフォーマットに於いて、全ての面がバランスを保って、質量が同じになるように計算して内容を細かに変えていることからも推察できる。カセットでは4つ、LPでは6つのセグメントが全体を構成していることになり、それぞれのセグメントに於いて「始まり」と「終わり」があることになる。
この「始まり」と「終わり」と言うこれまた一つの「異なっていながら同居した二つの存在」を差異なく完璧なバランスで存在させるべく、各フォーマットには最大の配慮がされている。
CDのLeft&Rightは、実はLeftの方が収録時間がかなり長い。しかし、二つを聴いた時に長さの差を感じないような作りになっているのはこれのあらわれだと思う。しかも、どちらの「始まり」も「終わり」も、どちらかを優先だ、と考えさせることが無い。どちらでもいいのだ、と言うことだろう。
これは非常に趣き深いことで、また、この事だけを取ってみてもそこにありとあらゆる表現が込められ、いくつもの答えが重なって存在していることに気が付いた。
まるで彼の作品自体がそう言う繊細な「重なり」を主とした作りになっているように。この幾重もの意味と表現は一体となって聴く者を違う世界へと誘う。更に「それ」はまるで作品自体が生き物であるかのような感覚まで産むことになる。そして聴き手はその生き物の中に自分を見、そして彼の姿を見る。
彼の中の「男」と「女」、「善」と「悪」、「解放」と「幽閉」、「落下」と「上昇」、「傲慢」と「賞賛」。あらゆる全てがその対の存在に込められ、また、それらを含んだ存在が一つであると言う表現は、人間と言うものを象徴しているかのようだ。この「左右」と言う比喩に、『心臓』が含まれることも大きな意味があると思う。人体もまた左右で成り立つものが多い。『脳』もまたそうだ。>>
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私はこの表現に「その対になる存在全てを受け入れる」と言う彼の決意を感じる。
彼が過去の『旅』で彼自身を見い出したのなら、これからは自己の中にある対なる存在を認め、共に歩いて行くと言う表現では無いだろうか。その決心を形にしたことで、自らを得ることが出来た精神は肉体を手に入れたことになる。
その感覚を外に向けるなら、自分では無い誰かの存在を受け入れる、と言う覚悟のあらわれにも取れる。それは他人と向かい合うと言う勇気だ。相手の存在と自分の存在を対とする、と言う意味では無いだろうか。このアルバムでは彼はまさに聴き手と対になって向かい合っているように思う。
今、ここには無駄な存在が一つも無い『自分でしか無いもの』になった彼が歩いて行く様が、私には見える。取り巻いていた全てを振り切るように駆け出した、そんな印象がある。
いくつもの重なった音の作り出した軌跡が今度は上向きの螺旋になっている、と私には感じられる。
まるで一つ重ねるごとに、上に向かって行くような。それは下向きに自分を突き詰めた過去の作業よりもずっと身を削る作業であったに違い無いが、そうして自分から無駄なものをそいで行くことも、きっと彼に必要だったのだと思う。
前作で自らを突き詰め、究極のネガティブな心の力で既存の自分と言うものを裏返して「全くの新しい自己」を手に入れた、つまり精神的に自分で自分を産み直してしまったであろう彼は、ここで新しい体をまとったように感じる。
歩き出し、走り、相手に触れることのできる新しい肉を、彼はまとった。そこには精神的に大変な進化を遂げた存在がある。私はこんな切ない勇気を持つことが出来た彼を愛さずにはいられない。
その肉に存在する熱と血潮が、生きると言うことが持つ全ての「対なるもの」を内包し、そこに彼と言う存在を成り立たせている。
あの吸い込まれるように美しい双眸に見て取れる、彼が歩んで来た道が平坦で無いと言う事実に、私は再び、生きる力を与えてもらった。彼の新しい肉体に在る熱が、今、私にも宿っている。
旅に出よう、まだこの作品が持つものはたくさん在るのだから。全部を味わい尽くす為に。
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